dōTERRAとの出会い、
社会への視線
63歳。もう1度、情熱に火が入る
志より効率化
という路線変更に、
情熱を
失いかける
会社を設立し、ついに経済的にも自立することができました。仕事を家へ持ち込まないようにオフィスを借りて、50人規模のセミナーを開けるまでになり、ここを拠点として4〜5年は活動していたと記憶しています。おかげさまで充実した日々を過ごすことができました。
その後、家族や環境の変化はありながらも、この生活は続けていくのだろうと、周りの方は思っていたことでしょう。
ところが、私はこの企業に対する情熱を失いつつありました。きっかけは会社の大きな変化。事情により投資会社に買収されてしまったことで、人の役に立つという「志」よりも利益を求めているように感じられてきたからなのです。
けれどもその会社には私の自立を促してくれたご恩があります。「このままでいいのかな」とは思いながらも、セミナーやミーティングなどの活動は続けていました。
そんな時です、dōTERRAに出会ったのは…!
経営陣に会い、
dōTERRAのミッションに
胸を打たれる
今でこそdōTERRAのエッセンシャルオイルは日本でも有名になり、著名人にも愛用者がたくさんいます。でも私が知ったときは、まだ創立3年目。アメリカの友人が、「dōTERRAには朝子さんも共感できるところがたくさんある、こちらに来て確認してほしい」と誘ってくれた言葉に意を決して、本社を見に行くことにしました。私は“製品の朝子”と呼ばれていたほどその品質にこだわっていたので、そうした姿勢も買われたのでしょう。
幸いにも現地では経営陣にお会いすることができ、彼らの思い、もっと言えばミッションに胸を打たれました。
私は“事業の価値はミッションが決める”と信じています。
その点、エッセンシャルオイルを世界に届けることで健康を広め、一方で原料を生産する方々と対等の契約を結ぶフェアな姿勢は、気高い理想を感じるものでした。
特にアメリカでは日本のように国民全員が健康保険に加入する制度はなく、無保険だと高額の医療費がかかります。でも保険に入るそもそもの費用もない…そうした人々に対してエッセンシャルオイルで健康を支援すると同時に、経済的自立までも後押しする。
この仕組みを知った私は、アメリカに来た価値があったと心から思いました。
「もう歳だけど
大丈夫?」。
子どもたちは
みんな
ビックリ!!
さあ次の人生のテーマが決まった、今度はdōTERRAね!
アメリカからワクワクして戻ってきた私でしたが、子どもたちは少しとまどったようでした。
「引退して旅行でも楽しんだらいいのに」
と、私を気遣ってくれたのです。
理由は年齢、すでに63歳になっていました。
たしかに49歳でビジネスを始めてから14年の間で、老後の暮らしの目処は立っていました。世間的に見ても定年過ぎの年齢です。
けれど私にとっては49歳から働き始めて、まだ14年という感覚。働き盛りです。加えてエッセンシャルオイルは以前から親しみをもっていた素材であり、漢方やサプリメントと一緒に家族の健康に役立てていました。
そして何より前の事業で失った、
「想いを持った人たちと一緒に、世の中へ貢献したい」
「誰もが夢を叶えられるような、優しい社会を作りたい」
という情熱が甦ってきました。
こうして小林朝子のチャレンジ第二章を、dōTERRAのエッセンシャルオイルと共に始めたのです。